日中関係史研究会(於早大、2004.11.27)
川島真shin@juris.hokudai.ac.jp
満洲国とラジオ
● 研究の形成過程
(1)2001年度(単年度)文部省科学研究費・企画調査
「東アジア・ラジオ放送史構築のための国際共同研究−メディア社会文化史の視点から−」
(研究代表者:清水賢一郎、メンバー:貴志俊彦、孫安石、榎本泰子)
(2)2002年9月〜2003年8月 サントリー文化財団助成研究
「東アジア・ラジオ放送史の構築──メディア社会史・文化政策史の視点による国際共同研究」(研究代表者:榎本泰子)
(3)2002年―2004年度 日本学術振興会科学研究費・萌芽研究
「東アジアラジオ放送史の構築―メディア社会史・文化政策史の視点による国際共同研究」
(研究代表者:清水賢一郎)
(4)(3)を発展的に新たな科研に継続させる予定
[本共同研究の成果]
貴志俊彦「国民政府による電化教育政策と抗日ナショナリズム:「民衆教育」から「抗戦教育」へ」(『東洋史研究』66巻2号、2003年)
貴志俊彦「重慶国民政府による日本語プロパガンダ放送」(『アジア遊学』
貴志俊彦「北京市档案館所蔵『華北広播協会』関係文書目録」
(『島根県立大学メディアセンター年報』2号、2002年)
貴志俊彦「日中戦争期東アジア地域のラジオメディア空間をめぐる政権の争覇」
(宇野重昭・増田祐司編『北東アジア世界の形成と展開』日本評論社、2002年)
貴志俊彦・清水賢一郎「『北京市档案館』所蔵の華北ラジオ放送局資料」
(『島根県立大学メディアセンター報 界隈』創刊号、2000年)
孫 安石「上海市档案館と上海市図書館のラジオ・無線電関連資料の調査報告」
(『島根県立大学メディアセンター年報』3号、2003年8月)
孫 安石「上海的無線広播与日語大東広播電台」
(上海市档案館編『租界里的上海』上海社会科学出版社、2003年)
孫 安石「一九二〇年代の中国における無線電・ラジオ講演会」
(『アジア遊学』54号、2003年8月)
榎本泰子「日本における洋楽の普及とラジオ放送」(『アジア遊学』54号、2003年8月)
川島 真「満洲国とラジオ」(『アジア遊学』54号、2003年8月)
川島 真「戦後台湾の対外ラジオ放送政策」(『Intelligence』4号、2004年5月)
[そのほか]
20世紀メディア研究所(山本武利主催)と共同で「国際シンポジウム:東アジアにおけるメディアとプロバガンダ――政治・文化史への新視点」(2003年11月22日(土)、23日(日)、於早大)にて開催。ゲスト:Rudolf G.WAGNER(ドイツ科学院会員)呂紹理(国立政治大学/台湾)Catharine Yeh(ハイデルベルク大学/ドイツ)Maochun Yu(U.S. Naval Academy)佐藤卓己(国際日本文化研究センター)など。
はじめに−「電撃」「広播」「全体」の時代に−
「聴覚」メディアであるラジオは、自宅や職場など日常的空間で「…しながら」聴くことができ、そうでありながら聴き返すことができない瞬時性ももった。また、以前では考えられない速さで情報を周囲に伝えることができた。こうしたラジオは、社会的に「速さ」「効率」を求め、政治もまた「動員」「全体」「一体感」を重視した一九三〇年代の利器として認識された。
また、このメディアが「音」を媒体とすることから、言語、民族、そして文化などと密接に関わることとなった。このメディアは、空間だけでなく、民族、文化を超えて伝えられるメディアでありながら、同時に「括る」要素も含まれ、さらに言語がそこに大きな役割を果たした。そして、そこでは(聴取者に対応しながら)民族、文化の多様性を表現しつつ、あわせて言語、文化などの「標準化」も生み出していった。
そして、この時代には文化こそが政治となり、政治が言語、文化に深く関わった時代であった。同時に、機械と技術、一律に情報が伝達されるという電波の性格から「近代性」や「科学性」ひいては「規範創造性」もまたラジオのもつ特性であった[1]。
このようなラジオというメディアのもつ特性は、この時代のあらゆる権力主体にとって利用に値する媒体であったが、特に広大かつ多様な環境の下にありながら、国家建設を急がねばならない満洲国にとって、このメディアは実に有益であり、満洲国とラジオは密接に結びついていくことになる。だが、そこでのラジオ事業の展開は、同時にまた満洲国のもつ性格も如実に反映していたのである[2]。
一 満洲国放送史(年表参照)
(1)満洲国の成立と満洲電信電話株式会社
満洲電信電話株式会社『満洲放送年鑑』昭和十四年版、十五年版
総合放送文化研究所放送史編修室『外地放送史資料 満洲編』(T〜V)
(同所、一九七九年−八〇年)
(2)百キロ放送の誕生
(3)戦時体制下における国際代行機関
(4)対英米戦争の開始と玉音放送
二 放送内容と聴取者
◆放送協議会
◆番組編成
◆国際ニュース戦
◆放送芸術の問題
★広告放送
◆「満洲でもラヂオ調査」
◆学校放送
聴取者の問題
◆聴取者アンケート(電電倶楽部『電電』一九四〇年十月号)
◆使用言語
三 「オイ、ラジオ屋」−聴取者獲得−
★聴取者数増加
◆聴取料
◆隣組
◆巡回ラジオ
四 戦時体制とラジオ−宣伝と動員−
◆「ラジオ」の顕著なる特性は広播性である。
◆教育の中に組み込まれるラジオ
◆戦時 昭和十二年七月十三日以降、戦時体制へ
◆ 現下の満支へ何を放送すべきか?
★対英米戦争の開始
●弘報処長・武藤富雄「放送と宣伝」[3]
◆武本正義「放送従事者の資格−主として弘報業務たる見地から−」
五 満洲文化とラジオ−満洲的ラジオ空間−
■ 複合民族、未開地、近代化、高度な文化の建設
◆言語
◆「ラジオはこの空間的な離隔を解消してくれる唯一のきづなである。」
◆文章のラジオ化
◆ラジオ自身の視覚化
◆文化機関、融和・融合
◆政治と文化
六 「帝国」としての一体感と電波戦争
◆藤川佐吉「国際ニュース戦について」
◆日満連絡放送
◆東亜放送協議会
◆満華交換放送
◆満鮮定例交換放送
◆二重放送
◆一九四二年一月十五日 満伊交換放送協定、四十三年同日満独交換放送協定
おわりに−回想の中の満洲ラジオ−
■満洲国のラジオ
「おれは新京の放送局の森繁だ」
[後記]現在進めている作業、課題
1. 放送博物館所蔵の「満洲国承徳に於ける満華蒙放送連絡会議事要録」(昭和19年5月)、「敵対放送解説便概」(華北広播協会、昭和17年3月1日)などを検討
2. 逓信総合博物館所蔵の諸資料の検討(張政権のラジオ局接収の件など)
3. 『宣撫月報』などの閲覧、検討(山本研究室)
4. 中国東北部における史料収集(吉林省档案館、図書館、長春市档案館、図書館)
→聴取者の視線
[1] 無論、ラジオメディアをこうした政治性だけで捉えることはできない。経済面、また娯楽などの風俗面における影響力も大きかった。
[2] 先行研究は決して多くない。代表的なものは、山本武利「満州における日本のラジオ戦略」(『Intelligence』4号、2004年5月)、橋本雄一「声の勢力版図――「関東州」大連放送局と『満洲ラヂオ新聞』の連携」(『朱夏』第11号、せらび書房、1998年10月)、拙稿「満洲国とラジオ」(『アジア遊学』54号、2003年8月)。山本は『宣撫月報』を使用、橋本は『満洲ラジオ新聞』を紹介する。拙稿は『満洲ラジオ年鑑』『放送』『電電』などといった基礎史料を使用。また2004年3月22日に放映されたNHKのHVスペシャル「遺された声−ラジオが伝えた太平洋戦争」、同番組をアレンジし2004年8月14日に放映されたNHKスペシャル「遺された声−録音盤が語る太平洋戦争−」などが代表的な先行「研究」だろう。NHKの番組は、吉林省档案館に所蔵される2000枚以上の原版に依拠している。他方、民間におけるラジオ研究は詳細かつ専門性が高い。ラジオの総合的、博物研究を試みるラジオフライの試みhttp://radiofly.to/wiki/index.php、またアジアのラジオについて現状から歴史までくまなく網羅するアジア放送研究会http://www.246.ne.jp/~abi/ などがよく知られている。
[3] 武藤富雄「放送と宣伝」(電電一心会『電電』一九四二年一月)